2008年 05月 22日
弁慶堀 |
先日の続きで恐縮です。
赤坂という地名の由来は、赤土の坂があったからという説や赤根山(迎賓館付近の高台)に登る坂であることから名付けられという説や染物屋が付近の坂に赤い絹を干していたという説や赤坂見附から迎賓館方面に登る紀伊国坂の坂上に茜草が生えていたからという説等が諸説が存在するそうです。
紀伊国坂という名称は、江戸時代に坂の西側に紀州藩上屋敷があったことから名付けられたそうです。かつて紀州藩上屋敷があった場所は現在は赤坂御用地、迎賓館になっています。
また、坂の東側の堀は弁慶堀と呼ばれる江戸城外堀の一つです。この名称は当時掘割工事を請負った弁慶小左衛門の名に由来するそうです。
現在のような重機のない江戸時代にこれだけの堀一つ掘削するのも大変だっただろうなあと考えつつ、弁慶橋を渡るのでした・・・まだまだつづく
さて、第一建設においても県道74号線山脇大谷線や一級河川飯間谷川等、市内各所にて現代の弁慶小左衛門が元気に工事施工中です!!
赤坂という地名の由来は、赤土の坂があったからという説や赤根山(迎賓館付近の高台)に登る坂であることから名付けられという説や染物屋が付近の坂に赤い絹を干していたという説や赤坂見附から迎賓館方面に登る紀伊国坂の坂上に茜草が生えていたからという説等が諸説が存在するそうです。
紀伊国坂という名称は、江戸時代に坂の西側に紀州藩上屋敷があったことから名付けられたそうです。かつて紀州藩上屋敷があった場所は現在は赤坂御用地、迎賓館になっています。
また、坂の東側の堀は弁慶堀と呼ばれる江戸城外堀の一つです。この名称は当時掘割工事を請負った弁慶小左衛門の名に由来するそうです。
現在のような重機のない江戸時代にこれだけの堀一つ掘削するのも大変だっただろうなあと考えつつ、弁慶橋を渡るのでした・・・まだまだつづく
さて、第一建設においても県道74号線山脇大谷線や一級河川飯間谷川等、市内各所にて現代の弁慶小左衛門が元気に工事施工中です!!
第一建設株式会社 市川
by a-comfort14
| 2008-05-22 09:15
| プチ旅行記